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あらゆる物事をM視点で語るブログ

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ある年の正月の話

槇原敬之の『PAIN』という曲の歌詞にこんなフレーズがあります。

子供の気持ちをもう全部解りきれない両親のさみしそうな声

親というものは、子が幾つになっても何がしかの期待を抱いてるようです。
無限の可能性がある幼少期には、親もまた無限の期待を。
夢見る思春期には、親もまた夢見がちな期待を(大抵の場合夢見る方向性が違うのだけど)
そして、子がそれなりの年齢になると、親もまたそれなりの期待を。この場合、結婚とか孫とかそういうものですね。
この期待がまあきついわけです。青春時代に感じていたものとは別種のきつさです。おそらくは、できることならその期待に答えてあげたいと思っているからなのでしょうね。それくらいの親孝行はしたいと。歳を重ねると何故だか両親の存在が大きくなるんですよねえ。とてもとても大事に思える。
だからこそ、

子供の気持ちをもう全部解りきれない両親のさみしそうな声

という歌詞は本当に重い。

そういえば、こんな事がありました。
新年を実家で迎えた時のことです。この時期は他人の家族に触れる機会が多いように思います。
嫁と子供を連れて挨拶にくる親戚。子供の写真をプリントした年賀状。初詣にいけば、そこら中に家族、家族、家族。
それを眺める母親の顔といったらもう…。

ごめん母ちゃん、嫁さん連れてこれなくて。
ごめん母ちゃん、孫の顔を見せられなくて。

…というか、本当にごめん。貞操帯を身に着けて実家に帰ってきて。

貞操帯って、一つの愛の形ではあると思うんですよね。おおっぴらにひけらかす必要はありませんが、後ろめたく思うこともないはずなのです。
でも、あの時は、いままで経験した事のないような罪悪感を覚えました。
両親にとって、わかりきれない子供になってしまった自分への後ろめたさ、でしょうか。

いや、まあそんな大げさな話でもなく、ただ単に時と場合を考えましょうってだけの事なんですけどね。
正月の家族団らんに貞操帯はあかんと。
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