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あらゆる物事をM視点で語るブログ

日々妄想

M視点で語る映画⑦『スーパー!』

あらすじ
さえない中年男フランク(レイン・ウィルソン)。彼の妻(リヴ・タイラー)がセクシーなドラッグディーラー(ケヴィン・ベーコン)の後を追って家を出てしまう。愛する妻を取り戻すため、彼はお手製のコスチュームに身を包みスーパーヒーロー“クリムゾンボルト(赤い稲妻)”に変身。イカれた女の子ボルティー(エレン・ペイジ)を相棒に、危険地帯の犯罪に立ち向かうフランクだったが……。(シネマトゥデイより)


…何と素晴らしい作品。個人的には『キック・アス』『劇場版神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』と並び今年度ベスト映画候補です。

あらすじを読んでの通り、神の啓示を受けた主人公はスーパーヒーロー“クリムゾンボルト”となって悪党退治に精を出します。
但し、その悪党退治の描かれ方がまあ凄惨なわけです。何しろ、クリムゾンボルトが使用する武器がレンチですからね。退治する悪党が、列を割り込みするカップルですし。
カップルにレンチでガンッ!額がパッカーですよ。これがヒーロー?っていう。
で、相棒役のボルティーが登場してからはさらに酷くなって。もうドン引きです。
悪党に車で突っ込んでドンッ!脚がグッシャーですよ。これがヒーロー?っていう。

お分かりかと思いますが、ここで浮かび上がってくるテーマは『正義の名で執行される行き過ぎた暴力』あるいは『神の名で執行される行き過ぎた暴力』ですね。それこそ、世界中の表現者達が繰り返し問うてきたテーマです。
当然、本作『スーパー!』を観て色々思うことはありますし、実際語り合うこともできるでしょう。
ですが、私が惹かれるのはその浮かび上がるテーマではなく、むしろその表層の、倫理的な問いかけを飛び越えてただ怒りに身を任せる主人公の姿そのものなんですよね。色々と思い出し、泣けて仕方ありませんでした。

個人的な話になりますが、私は虫も殺さぬような大人しい人間なわけです。自分で言うのもなんですけど。今までの人生、誰かに対して怒ったことなんてほとんど記憶にありません。大抵の事はヘラヘラ笑ってその場をやり過ごすだけです。
そんな私が怒りに身を任せて暴力を振るったことがあります。
といっても、へっぴり腰で蹴りを入れただけです。蹴りを入れただけですが、その時はこう思ってましたよ。
「殺してやる」って。
とても肯定されるような過去ではありません。肯定するつもりもありません。
ですが、私にとってその「怒りに身を任せて暴力を振るった」体験は、かけがえのない大切にしている記憶なのです。
勘違いしてほしくないのは勇気を持って相手に立ち向かったから、かけがえのない大切な記憶になったわけではないということです。どう表現すればいいのでしょうか、もっと単純に、殺意を持てた、我を失えた事への感動といいますか。

或いは、もっとM視点的な思い出から語りますと、私人生において数回だけS女性に自分の恥ずかしい姿の画像をメールしたことがありまして。
これが不思議なことに、私の脳内ではマゾとして興奮した体験談として分類されていないんですよね。前述の嫌がらせを受けた相手に蹴りを入れた体験と同じところに分類されているんです。
つまり、かげがえのない大切にしているしている記憶。これまた良くいえば忠誠心、悪く言えば欲望に身を任せて我を失えた事への感動だったのかなと。
なんと表現すればいいのか、私は私から自由になれるのだという感動。私は私ではないのだという感動。
…うーん、後付けかな。


映画の話に戻ります。
終盤、ある出来事によって主人公は復讐の鬼と化し、更なる凄惨な暴力を繰り広げます。
もう目を背けたくなるような暴力なのですが、それでも怒り身を任せる主人公の姿に感動してしまうんですよね。
何なのだろう、あれは。

そして、ラスト。おそらく、賛否が分かれると思います。暴力の肯定ととれますから。ですが、私は大好きです。
そりゃ、暴力は悪ですよ。でも…。でも…。でも…。
そう、やっぱりかけがえのない大切な記憶なんですよね。否定しきれない大切な記憶。
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